ガッチャマン

少し前になりますが、あるお方のご好意でガッチャマンの映画を観てきました。

ネットとかでは散々なダメ評価の嵐になっていますが、納得です。
だってガッチャマンの同姓名前の5人組による心の葛藤物語-恋愛系-だったんですもの(笑)

百歩譲ってヒーローの苦悩や恋愛話だったとしても、きちんとガッチャマンの根幹の設定があれば新解釈のガッチャマンなのかって許しもしよう。

「鳥」の設定を外した時点でもうダメとは思うが、マントが羽じゃないとかそんなのはこの際許せても絶対納得できなかったのが、変身しないこと!
「バード ゴー!」でGマシンと共に変身してこそのガッチャマンでしょ!
いうなれば、変身シーンがない戦闘スーツ着てメットかぶって戦う仮面ライダー、胸のカラータイマーがないウルトラマンと言った感じです。

初めの市街地での戦闘シーンはCGも含めてワクワクドキドキだったけど、それ以降はもう燃える展開はほぼなし。助ける意味あるのかないのかよくわからない要人保護のくだりとか、科学”忍者”らしいことがなかった。

でも、先日アニメのガッチャマン第一話を観て改めて映画内容を思いだすと共通点がわりとあったので【どうしてこうなった?】です。
・掟を守るということ
・ジュンのケンへの秘かな恋心 (映画ではラブモード全開(笑))
・ジンペイの忍術
・バードミサイル
・科学忍法火の鳥発動?シーン (これは映画では爆発に巻き込まれたただの火だるまじゃん(苦笑)って思っていたけど一話ラストと同じ風な展開だった)
この辺りはよくリスペクトされていると思いました。

かっこいい素材がいっぱいありながら全く別物に仕上げるあたり「戦うヒーローもの」をあまり理解していないんじゃないかと・・・。

『実体を見せず忍び寄る白い影!』なんだからライトが当たるところにシルエットだけ映してスッと敵の背後に立ち手刀で倒すとか、「〜その名をガッチャマン!」って口上シーンとかもやればもっとワクワクなると思うんだけど。

ひょっとして監督・脚本家さんは第一話だけ見てわかったつもりになって映画を作ったのではと思いました(笑)

そんなわけで、この映画版ガッチャマンは当時アニメで観た『”科学忍者隊”ガッチャマン』ではありません。
自分たちの境遇に対して苦悩・葛藤する恋愛話が中心の別物ヒーロー映画でした。